昨日会った知人が、「国営昭和記念公園(以下;昭和公園)」へ先週出かけて、桜やチューリップなどが見頃でとても良かったとのこと。
「ウェザーニュース」を見ると、「散りはじめ」となっている。
まだ行けそうかな?
更に、インスタグラムを見ていたら、ネモフィラもいい感じになっているようだ。
調べてみたら、私の家から昭和公園まで自転車で出かけると、片道45km程あり往復で90kmとして、園内を散策したら、軽く100kmを超えてしまう。
頑張れば行けるだろうが、西方面の都内の交通量の多い一般道を走る場合は、結構覚悟がいるので、かなり気を使うことになる。結局、ただ疲れるだけだ。
それでは楽しめない。
そこで、今年はまだ「輪行」をしていないし、久しぶりにタイヤ16インチの折りたたみ自転車「プラチナライト8(以下; プラ8)」を活躍させることにした。
昭和公園への最寄り駅は「立川」「西立川」「東中神」あたり。
「川口」から向かうには、JR京浜東北線で「南浦和」まで行き、武蔵野線に乗り換えて「西国分寺」へ行き、更に中央線に乗り換えて「立川」までで約1時間かかる。
乗り換えが多いと、輪行袋に収めたプラ8を抱えて駅構内を歩くのはきつい。
そこで、西国分寺駅から昭和公園までは片道7km程なので、電車利用は西国分寺駅までにして、西国分寺駅からは、プラ8で昭和公園まで向かうことにした。
この界隈へ出かけるのは40年振りなので、街並みの風景も楽しみたい。
昭和公園の「立川口」に到着。
自転車の入口はこちらで、
歩きの場合は、こちら。
入園料は、大人450円で65歳以上は210円。
東京ドーム約39個分の広さがあるようなので、隅々まで回ったらかなりの距離になるだろう。
歩道と自転車道が完全に分離しており、歩道には自転車は入れず、自転車道には人が歩くことが出来ないようにしている。
これは、去年出かけた「ひたち海浜公園」と同じだ。
自転車道には標識があるので、地図がある人にはわかりやすい。
私は、当初何も手元になかったので、その場所には何があるのか?わからないまま適当に走っていた。
各スポットへ行くには、駐輪場に自転車を置いて歩いて行くことになる。
でも、駐輪場からは案内板に表記しているスポットが見えないし、駐輪場からは結構歩いて行かないとその場所がどういうところなのかがわからない。
歩いていくと、「ああ、ここはこういうところか!」といった感じで知ることになる。
桜の方は、半分ほど散っており、葉桜に近い状態だった。
「みんなの原っぱ」の場所で「大ケヤキ」
「日本庭園」ここでMAPをゲット出来た。
枝垂れ桜が目立っていた。
「渓流広場」でたくさんのチューリップ。
今日一番人が多かった場所だ。
「こもれびの里」には古民家。
奥へ行くと「花の丘」にネモフィラ。
でも、見頃ではなく咲き始めという感じ。
やはりネモフィラは4月末から5月上旬あたりが見頃と思われる。
そこへ「パークトレイン」がやってきた。
その後、方々を回ってから退園した。
帰りも、西国分寺駅まで自転車で行き、そこからJR武蔵野線に乗るつもりだった。
プラ8を輪行袋に入れて、駅に入ろうと思ったら、なんと「Suica」が見当たらない!
隅々まで探したが見つからなかった。
午前中、改札でSuicaを使っている時に電話があった。
おそらく会話している間に落としたものと思われる。
落とし物として届けがあるかを調べてもらったが、なかった。
Suicaの場合、拾って使われてしまう可能性があるようだ。
1万円以上入っているので、機能を止めてもらった。
再発行して復活させるには、カードの料金と手数料で1,020円かかるとのこと。
明日以降に、みどりの窓口へ行って、手続きをすることになった。
トホホ(大泣)
この日の走行距離は、31km程だった。
2024年04月16日
2023年09月25日
輪行 渋沢栄一ゆかりの地巡り
今日、埼玉県深谷市まで輪行旅をしてきた。
旅のお供は、タイヤ16インチの折りたたみ自転車「ルノープラチナライト8(以下;プラ8)」。
久しぶりの登場である。
深谷市は、「渋沢栄一」の生誕地である。
川口駅から京浜東北線で浦和駅まで行き、浦和駅からは高崎線に乗って、深谷駅には8時45分頃到着した。
東海道線のどこかの踏切でのトラブルがあり、10分程遅れての到着だった。
以前から、見たかった深谷駅舎。
深谷市は「レンガの街」である。
東京駅が深谷市産のレンガを大量に用いている縁から、レンガの街をアピールする意味も込めて、深谷駅は1996年に東京駅を模したデザインへと改築された。
輪行袋からプラ8を出して、組み立てて、まずは「七ツ梅酒造跡」へ向かった。
七ツ梅酒造は、「田中藤左衛門」が創業し、300年以上続いた歴史ある酒造の跡地である。
中に入ったら、独特のレトロな雰囲気で、最初に「深谷シネマ」に目が止まった。
酒造を改装してできた映画館で、現在も営業している様子。
他にも、レンガ作り体験などが出来る店もあった。
その後、「日本煉瓦製造 旧事務所」へ走らせた。
途中、「唐沢川」沿いを少し走ったのだが、沿道に「キバナコスモス」がたくさん咲いていて、まるで歓迎してくれているようだった。
そして、日本煉瓦製造の近くでは、「あかね通り」を走った。
車やオートバイは進入禁止である。
日本煉瓦製造 旧事務所に到着したが、なんと休館だった。
あちゃ〜〜!(泣)月曜日は休館なのか?
後で、他の場所で聞いたところ、最近は土日以外休館にしているとのこと。
今回出かけたコースでは、この場所だけが離れたところにあるので、ちょっと残念だった。
気を取り直して、次に「渋沢栄一記念館」へ出かけた。
途中、一面の田んぼを何度も見かけた。
また、深谷といったら「ネギ」である。生産量は日本一である。
渋沢栄一記念館に到着。
入館料は無料である。
ここでは、渋沢栄一ゆかりの遺墨や資料や写真などが展示されており、渋沢栄一アンドロイドから講義を受けることが出来る。
私が入館した時は、ガラガラで講義を受けることも出来たが、次が30分後になるとのことでパスした。
その後、「旧渋沢邸(中の家 なかんち)」へ向かった。
渋沢栄一が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所である。
渋沢栄一が寝泊まりした部屋。
ここでも、渋沢栄一アンドロイドがいた。
その後、「尾高惇忠生家」へ向かった。
尾高惇忠は渋沢栄一の従兄であり、学問の師だった。
そして、その妹の「千代」は渋沢栄一の妻である。
惇忠や栄一らが高崎城を乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちしようと謀議した2階の部屋。
大河ドラマ「青天を衝け」のワンシーンを思い出した。
その後、「誠之堂」と「清風亭」へ出かけた。
誠之堂は、渋沢栄一が初代頭取を務めた第一銀行の行員たちの出資により建築された。
清風亭は、大正15年に当時第一銀行の頭取だった「佐々木勇之助」の古希を記念して建設された。
その後、「岡部駅」を目指した。途中「中宿歴史公園」に立ち寄った。
飛鳥時代の倉庫群の遺跡に整備された公園で、高床式倉庫が復元されている。
また、池には1400年から3000年程前のハスの一種とされている「原始蓮」が一面に自生していた。
岡部駅には、11時55分頃到着した。
岡部駅の近くには食事処が全くなかった。
電車の時刻表を見たら、12時16分の上りがあったので、急いでプラ8を輪行袋に収めた。
そして、川口駅には午後1時40分頃到着した。
プラ8を組み立てて、その後、レストラン「ガスト」へ向かった。
昨日、「すかいらーく」から「株主優待券(食事券)」が届いたからである。
ガストでゆっくり昼食を取ってから帰宅した。
この日の走行距離は、22km程だった。
朝、出発した際は、ちょっと寒く感じたが、徐々に気温も上がり、岡部駅に到着した時は、すごく暑かった。
でも、全体的に暑すぎず涼しい感じでポタリングすることが出来た。
何より、一面に続く田んぼや、のどかな川沿いの景色を楽しみながら走るのは、とても快適で心も洗われるような感覚だった。
また、渋沢栄一ゆかりの場所を回ることで、改めて渋沢栄一の偉大さも感じ取れた。
とても価値のある輪行旅だった。
旅のお供は、タイヤ16インチの折りたたみ自転車「ルノープラチナライト8(以下;プラ8)」。
久しぶりの登場である。
深谷市は、「渋沢栄一」の生誕地である。
川口駅から京浜東北線で浦和駅まで行き、浦和駅からは高崎線に乗って、深谷駅には8時45分頃到着した。
東海道線のどこかの踏切でのトラブルがあり、10分程遅れての到着だった。
以前から、見たかった深谷駅舎。
深谷市は「レンガの街」である。
東京駅が深谷市産のレンガを大量に用いている縁から、レンガの街をアピールする意味も込めて、深谷駅は1996年に東京駅を模したデザインへと改築された。
輪行袋からプラ8を出して、組み立てて、まずは「七ツ梅酒造跡」へ向かった。
七ツ梅酒造は、「田中藤左衛門」が創業し、300年以上続いた歴史ある酒造の跡地である。
中に入ったら、独特のレトロな雰囲気で、最初に「深谷シネマ」に目が止まった。
酒造を改装してできた映画館で、現在も営業している様子。
他にも、レンガ作り体験などが出来る店もあった。
その後、「日本煉瓦製造 旧事務所」へ走らせた。
途中、「唐沢川」沿いを少し走ったのだが、沿道に「キバナコスモス」がたくさん咲いていて、まるで歓迎してくれているようだった。
そして、日本煉瓦製造の近くでは、「あかね通り」を走った。
車やオートバイは進入禁止である。
日本煉瓦製造 旧事務所に到着したが、なんと休館だった。
あちゃ〜〜!(泣)月曜日は休館なのか?
後で、他の場所で聞いたところ、最近は土日以外休館にしているとのこと。
今回出かけたコースでは、この場所だけが離れたところにあるので、ちょっと残念だった。
気を取り直して、次に「渋沢栄一記念館」へ出かけた。
途中、一面の田んぼを何度も見かけた。
また、深谷といったら「ネギ」である。生産量は日本一である。
渋沢栄一記念館に到着。
入館料は無料である。
ここでは、渋沢栄一ゆかりの遺墨や資料や写真などが展示されており、渋沢栄一アンドロイドから講義を受けることが出来る。
私が入館した時は、ガラガラで講義を受けることも出来たが、次が30分後になるとのことでパスした。
その後、「旧渋沢邸(中の家 なかんち)」へ向かった。
渋沢栄一が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所である。
渋沢栄一が寝泊まりした部屋。
ここでも、渋沢栄一アンドロイドがいた。
その後、「尾高惇忠生家」へ向かった。
尾高惇忠は渋沢栄一の従兄であり、学問の師だった。
そして、その妹の「千代」は渋沢栄一の妻である。
惇忠や栄一らが高崎城を乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちしようと謀議した2階の部屋。
大河ドラマ「青天を衝け」のワンシーンを思い出した。
その後、「誠之堂」と「清風亭」へ出かけた。
誠之堂は、渋沢栄一が初代頭取を務めた第一銀行の行員たちの出資により建築された。
清風亭は、大正15年に当時第一銀行の頭取だった「佐々木勇之助」の古希を記念して建設された。
その後、「岡部駅」を目指した。途中「中宿歴史公園」に立ち寄った。
飛鳥時代の倉庫群の遺跡に整備された公園で、高床式倉庫が復元されている。
また、池には1400年から3000年程前のハスの一種とされている「原始蓮」が一面に自生していた。
岡部駅には、11時55分頃到着した。
岡部駅の近くには食事処が全くなかった。
電車の時刻表を見たら、12時16分の上りがあったので、急いでプラ8を輪行袋に収めた。
そして、川口駅には午後1時40分頃到着した。
プラ8を組み立てて、その後、レストラン「ガスト」へ向かった。
昨日、「すかいらーく」から「株主優待券(食事券)」が届いたからである。
ガストでゆっくり昼食を取ってから帰宅した。
この日の走行距離は、22km程だった。
朝、出発した際は、ちょっと寒く感じたが、徐々に気温も上がり、岡部駅に到着した時は、すごく暑かった。
でも、全体的に暑すぎず涼しい感じでポタリングすることが出来た。
何より、一面に続く田んぼや、のどかな川沿いの景色を楽しみながら走るのは、とても快適で心も洗われるような感覚だった。
また、渋沢栄一ゆかりの場所を回ることで、改めて渋沢栄一の偉大さも感じ取れた。
とても価値のある輪行旅だった。
2023年06月05日
輪行 長瀞〜秩父
今日、以前より輪行で行きたいと思っていた「長瀞」へ行ってきた。
長瀞へは、45年程前に出かけたのが最後だ。
長瀞への目的は、天然記念物の「岩畳」と「長瀞 花の里」。
「長瀞 花の里」については、数日前にインスタグラムをながめていたら、ちょうどハナビシソウが見頃になっているようだったので、是非出かけたいと思っていた。
今回も旅のお供は、タイヤ16インチの折りたたみ自転車「ルノープラチナライト8(以下;プラ8)」。
今朝も早い時間の電車に乗って出かけた。
川口駅から大宮方面の電車で浦和駅まで乗った。
浦和駅6時2分の高崎行きの高崎線で熊谷駅まで乗った。
一ノ倉沢へ出かけた時に乗った同じ時間の電車だ。
熊谷駅には6時48分に到着した。
一旦、駅の外に出てから、急いで「秩父鉄道」に乗り換えた。
熊谷6時54分発に乗って、長瀞駅には7時41分に到着した。
プラ8を組み立ててから、まずは「岩畳」へ向かった。
岩畳までの道は、車や自転車の通行が禁止されているので、プラ8を脇に転がしながら歩いた。
岩畳までの街並み。昭和の香りがプンプンする。
「射的」の店があった。
よく温泉町などである感じの店。
アルバイト募集中!!女性60歳までのようだ(微笑)。
岩畳に到着。
手前の説明版によると、長瀞一帯は特殊な地形を間近に観察できることから、「地球の窓」とも呼ばれているようだ。
早い時間だったので、私以外には誰一人いなかった。
残念なのは、一昨日の大雨で川が濁っていた。
また、水嵩も少し高いようで、川の流れも早かった。
十分堪能できたので、「寳登山神社(ほどさんじんじゃ)」へ向かった。
寳登山神社は、「秩父神社」「三峯神社」とともに秩父三社と呼ばれているようだ。
拝殿の正面に見事な龍の彫刻。
その後、長瀞 花の里へ向かった。
8時45分頃に到着。
ネットでは、9時開園となっていたが、係員の人に尋ねたら、入っても大丈夫とのことで「協力金200円」を支払って入った。
一面のハナビシソウ。
ハナビシソウはカリフォルニア州の州花のようで、見頃になるのは5月から6月にかけてのようだ。
一昨日の大雨で少しダメージがあったかもしれないが、オレンジ色の見頃状態だった。
その後、長瀞駅周辺を少し散策し、「金石水管橋」を目指した。
車は通れず徒歩専用。自転車は押して歩いた。
橋の中央から。
川べりにはキャンプ場があって、それを楽しんでいる人と橋の上で挨拶した。
紅葉の時期だと絵になるような景色を楽しめるのだろう。
その後、秩父方面に向かった。
途中、トンネルの脇の「長瀞自然の道」を走った。
荒川沿いの山道のようで、登山ルートやハイキングルートにもなっているようだ。
長瀞の岩畳も上から覗けるが、崖の縁から覗くような感じになるので、ちょっと危ない。
道にはたくさんの枯葉や小枝が落ちており、一昨日の大雨の影響で水たまりもあって、歩くような速度でゆっくり走行した。
その後、「和銅遺跡」へ向かった。
和銅遺跡は、日本の初めての銭貨である和同開珎の元となる和銅の採掘跡地。
金運アップが期待出来そうなスポットなので、是非行こうと思っていたのだが、とんでもない激坂を登ることになった(写真には残さなかった)。
最初は普通のきつい上り坂だったが、途中から自転車を抱えて歩かないと厳しい道などもあり、本当にこの道で大丈夫?と思われるようなところを抜けていった。
写真の道は、比較的歩きやすい山道。
無事に「日本通貨発祥の地」の記念碑に到着。
ただ、ここが遺跡跡ではなく、遺跡跡はさらに上り坂を進むようで、自転車と一緒では無理なので断念した。
その後、「秩父神社」を目指した。
秩父神社に到着。
秩父鉄道の秩父駅から歩いて5〜6分程の場所にある。
参拝後、「秩父公園橋」へ向かった。
ケーブルがハープの弦のように見えるので「秩父ハープ橋」とも言われている。
TVなどで以前から知っていて、是非一度見てみたいと思っていた。
すごい迫力で、まさにハープのようだ。
夜になるとライトアップされるようだ。
おそらく今まで見た橋の中で、私の一番になった!(微笑)
これで今日の輪行旅は終わりにして、西武秩父駅から帰宅した。
今日は、30度を超える真夏日になったので、途中からかなり体が熱くつらくなる時もあったが、とても楽しい輪行旅だった。
走行距離は、31km程だった。
今回感じたこととして、今まで乗ったことのなかったローカル線が思いのほか楽しい。
電車から見る、田舎ののどかな風景や街並みもいいし、都心で乗る電車とは違って、ノスタルジック感がある。
ちょっとワクワクする気持ちにもなるし、自分の子供の頃のことなどを思い出すきっかけにもなる。
輪行旅、ますますハマりそうな感じだ。
長瀞へは、45年程前に出かけたのが最後だ。
長瀞への目的は、天然記念物の「岩畳」と「長瀞 花の里」。
「長瀞 花の里」については、数日前にインスタグラムをながめていたら、ちょうどハナビシソウが見頃になっているようだったので、是非出かけたいと思っていた。
今回も旅のお供は、タイヤ16インチの折りたたみ自転車「ルノープラチナライト8(以下;プラ8)」。
今朝も早い時間の電車に乗って出かけた。
川口駅から大宮方面の電車で浦和駅まで乗った。
浦和駅6時2分の高崎行きの高崎線で熊谷駅まで乗った。
一ノ倉沢へ出かけた時に乗った同じ時間の電車だ。
熊谷駅には6時48分に到着した。
一旦、駅の外に出てから、急いで「秩父鉄道」に乗り換えた。
熊谷6時54分発に乗って、長瀞駅には7時41分に到着した。
プラ8を組み立ててから、まずは「岩畳」へ向かった。
岩畳までの道は、車や自転車の通行が禁止されているので、プラ8を脇に転がしながら歩いた。
岩畳までの街並み。昭和の香りがプンプンする。
「射的」の店があった。
よく温泉町などである感じの店。
アルバイト募集中!!女性60歳までのようだ(微笑)。
岩畳に到着。
手前の説明版によると、長瀞一帯は特殊な地形を間近に観察できることから、「地球の窓」とも呼ばれているようだ。
早い時間だったので、私以外には誰一人いなかった。
残念なのは、一昨日の大雨で川が濁っていた。
また、水嵩も少し高いようで、川の流れも早かった。
十分堪能できたので、「寳登山神社(ほどさんじんじゃ)」へ向かった。
寳登山神社は、「秩父神社」「三峯神社」とともに秩父三社と呼ばれているようだ。
拝殿の正面に見事な龍の彫刻。
その後、長瀞 花の里へ向かった。
8時45分頃に到着。
ネットでは、9時開園となっていたが、係員の人に尋ねたら、入っても大丈夫とのことで「協力金200円」を支払って入った。
一面のハナビシソウ。
ハナビシソウはカリフォルニア州の州花のようで、見頃になるのは5月から6月にかけてのようだ。
一昨日の大雨で少しダメージがあったかもしれないが、オレンジ色の見頃状態だった。
その後、長瀞駅周辺を少し散策し、「金石水管橋」を目指した。
車は通れず徒歩専用。自転車は押して歩いた。
橋の中央から。
川べりにはキャンプ場があって、それを楽しんでいる人と橋の上で挨拶した。
紅葉の時期だと絵になるような景色を楽しめるのだろう。
その後、秩父方面に向かった。
途中、トンネルの脇の「長瀞自然の道」を走った。
荒川沿いの山道のようで、登山ルートやハイキングルートにもなっているようだ。
長瀞の岩畳も上から覗けるが、崖の縁から覗くような感じになるので、ちょっと危ない。
道にはたくさんの枯葉や小枝が落ちており、一昨日の大雨の影響で水たまりもあって、歩くような速度でゆっくり走行した。
その後、「和銅遺跡」へ向かった。
和銅遺跡は、日本の初めての銭貨である和同開珎の元となる和銅の採掘跡地。
金運アップが期待出来そうなスポットなので、是非行こうと思っていたのだが、とんでもない激坂を登ることになった(写真には残さなかった)。
最初は普通のきつい上り坂だったが、途中から自転車を抱えて歩かないと厳しい道などもあり、本当にこの道で大丈夫?と思われるようなところを抜けていった。
写真の道は、比較的歩きやすい山道。
無事に「日本通貨発祥の地」の記念碑に到着。
ただ、ここが遺跡跡ではなく、遺跡跡はさらに上り坂を進むようで、自転車と一緒では無理なので断念した。
その後、「秩父神社」を目指した。
秩父神社に到着。
秩父鉄道の秩父駅から歩いて5〜6分程の場所にある。
参拝後、「秩父公園橋」へ向かった。
ケーブルがハープの弦のように見えるので「秩父ハープ橋」とも言われている。
TVなどで以前から知っていて、是非一度見てみたいと思っていた。
すごい迫力で、まさにハープのようだ。
夜になるとライトアップされるようだ。
おそらく今まで見た橋の中で、私の一番になった!(微笑)
これで今日の輪行旅は終わりにして、西武秩父駅から帰宅した。
今日は、30度を超える真夏日になったので、途中からかなり体が熱くつらくなる時もあったが、とても楽しい輪行旅だった。
走行距離は、31km程だった。
今回感じたこととして、今まで乗ったことのなかったローカル線が思いのほか楽しい。
電車から見る、田舎ののどかな風景や街並みもいいし、都心で乗る電車とは違って、ノスタルジック感がある。
ちょっとワクワクする気持ちにもなるし、自分の子供の頃のことなどを思い出すきっかけにもなる。
輪行旅、ますますハマりそうな感じだ。
2023年05月26日
輪行 谷川岳 一ノ倉沢〜土合駅〜沼田城址 後編
一ノ倉沢の後、「土合駅」を目指した。
途中、「土合砂防堰堤(どあいさぼうえんてい)」を通ったので立ち寄った。
ここは「湯檜曽川(ゆびそがわ)」に建設された群馬県で初めてのアーチ式堰堤とのこと。
トロントのナイヤガラの滝を思い出した。
土合駅に到着。
土合駅は上越線の水上駅から2つ先の駅で、下りホームが新清水トンネル内にあり、ホームから地上に出るまでに「486段の階段」を登って行かねばならないので、「日本一のモグラ駅」と呼ばれている。
最近では、駅の敷地内にアウトドアキャンプを満喫出来るグランピングがオープンした。
https://doaivillage.com/about/
中に入ってみた。
下りホームは遥か先だ!
ホームまで下りて、登ってくる元気はないので、ここまで登り切ったというシチュエーションで駅舎へ戻ってみる。
渡り廊下のようなところを歩く。
とても駅とは思えない怪しげな雰囲気で、ドアには「お疲れさまでした」。
でも、更に143m先で24段登らねばならない。
486段、登り切った!(の、つもり)
実は、今回の輪行旅、土合駅まで電車で行き、この日本一のもぐら駅を体験した後に、一ノ倉沢へ向かうという計画も考えていた。
でも、とてもそんな体力はないのでパスした。
とりあえず、「見る」だけは出来たので、それで満足。
その後も、水上方面へ下って行った。
水上駅までの途中、いくつかキャンプ場があったが、車が通る度に音楽を奏でる「メロディーライン」があった。
スピード抑制の効果を狙っていると思われる。
自転車では・・メロディー奏でなかった。
「ゆびその湯」
足湯を利用できる施設。
お湯は熱過ぎず、ぬる過ぎずって感じだった。
ここで入ってしまうと、もう自転車こぎたくなくなるのでパスした。
「湯檜曽橋(ゆびそはし)」。
橋脚が独特だったので自転車を停めた。
「大穴スキー場の看板」
残念ながら、2019年で閉鎖したようだ。
かなり昔、父親に連れられて、ここでスキーをしたことがあるような?
水上で何軒か目立つ廃墟化したホテルの建物。
ちょっと寂しさを感じた。
水上駅近くに「SL転車台広場」の「D51」
水上駅では、SLが到着後、転車台広場でSLを方向転換する回転作業や整備作業を行なう様子を間近に見学することが出来るようだ。
水上駅には11時15分頃戻った。
時間的にまだ早いので、駅3つ先の「沼田」まで下ることにした。
沼田城址(公園)を目指して、沼田から電車で帰るつもりだ。
水上駅から沼田駅までは、20km程で下りが主だろうから、大したことないだろうと、その時は思った。
ところが、沼田駅付近は平坦だが、それまではアップダウンの繰り返し。
傾斜はそれほど急な坂ばかりではないものの、繰り返し続くと、あのプラ8ではちょっと堪えた。
途中、水上駅と隣の駅である「上牧(かみもく)」の中間付近で、利根川にかかる「諏訪峡大橋」では「バンジージャンプ」が出来るようなので近くに行ってみた。
1回目12,000円。同日2回目6,000円。
橋から下を覗いてみたら、お金もらってもやれないなと思った。
今日の最後に沼田城址(公園)へ出かけたのだが、その道順はGoogle頼り。
沼田城址(公園)の位置は、山の頂上付近にあるが、Google Mapが指示する方向へ進んで行った。
車は一切通れない道で、かなりの急坂を自転車転がしながら歩いた。
道が途中から階段になってしまったので、自転車を抱えて登るハメになった。
上を見るとうんざりしてくる。
下を見たら、こんなに高いところまで上って来たのか!
肩で息して、額からは大量の汗。
沼田城址(公園)に着いた時は、クタクタでしばらくは動けなかった。
「真田信之」像と「小松姫」像。
「真田丸」での「大泉洋」と「吉田羊」を思い出した。
「鐘楼」
「戦国無双」の真田信之と小松姫。
その後、沼田駅へ行き、電車の時刻を調べたら30分後に上りの電車があるので、急いで帰り支度をした。これを逃すと、1時間半程待たねばならない。
駅前や駅内には「赤いのぼり」が、ところどころに設置されていた。
今回の輪行旅も内容の濃いものだった。
走行距離は、43km程だった。
事前に、出かけるコースに対して、いろいろなシナリオを検討した。
もし、土合駅まで電車で出かけて、そこからのスタートだったら、沼田はなかった。
やはり、約10kgの重量の自転車を抱えて、486段の階段を登った後に、プラ8でヒルクライムは自分には無理。
自分をいじめる必要はない。楽しい旅をしたいので、無謀なことは避けるべきだ。
沼田城址(公園)までの急坂の登りは想定外だったが、とても楽しい旅だった。
また、チャンスがあれば、紅葉の時期に出かけてみたい。
途中、「土合砂防堰堤(どあいさぼうえんてい)」を通ったので立ち寄った。
ここは「湯檜曽川(ゆびそがわ)」に建設された群馬県で初めてのアーチ式堰堤とのこと。
トロントのナイヤガラの滝を思い出した。
土合駅に到着。
土合駅は上越線の水上駅から2つ先の駅で、下りホームが新清水トンネル内にあり、ホームから地上に出るまでに「486段の階段」を登って行かねばならないので、「日本一のモグラ駅」と呼ばれている。
最近では、駅の敷地内にアウトドアキャンプを満喫出来るグランピングがオープンした。
https://doaivillage.com/about/
中に入ってみた。
下りホームは遥か先だ!
ホームまで下りて、登ってくる元気はないので、ここまで登り切ったというシチュエーションで駅舎へ戻ってみる。
渡り廊下のようなところを歩く。
とても駅とは思えない怪しげな雰囲気で、ドアには「お疲れさまでした」。
でも、更に143m先で24段登らねばならない。
486段、登り切った!(の、つもり)
実は、今回の輪行旅、土合駅まで電車で行き、この日本一のもぐら駅を体験した後に、一ノ倉沢へ向かうという計画も考えていた。
でも、とてもそんな体力はないのでパスした。
とりあえず、「見る」だけは出来たので、それで満足。
その後も、水上方面へ下って行った。
水上駅までの途中、いくつかキャンプ場があったが、車が通る度に音楽を奏でる「メロディーライン」があった。
スピード抑制の効果を狙っていると思われる。
自転車では・・メロディー奏でなかった。
「ゆびその湯」
足湯を利用できる施設。
お湯は熱過ぎず、ぬる過ぎずって感じだった。
ここで入ってしまうと、もう自転車こぎたくなくなるのでパスした。
「湯檜曽橋(ゆびそはし)」。
橋脚が独特だったので自転車を停めた。
「大穴スキー場の看板」
残念ながら、2019年で閉鎖したようだ。
かなり昔、父親に連れられて、ここでスキーをしたことがあるような?
水上で何軒か目立つ廃墟化したホテルの建物。
ちょっと寂しさを感じた。
水上駅近くに「SL転車台広場」の「D51」
水上駅では、SLが到着後、転車台広場でSLを方向転換する回転作業や整備作業を行なう様子を間近に見学することが出来るようだ。
水上駅には11時15分頃戻った。
時間的にまだ早いので、駅3つ先の「沼田」まで下ることにした。
沼田城址(公園)を目指して、沼田から電車で帰るつもりだ。
水上駅から沼田駅までは、20km程で下りが主だろうから、大したことないだろうと、その時は思った。
ところが、沼田駅付近は平坦だが、それまではアップダウンの繰り返し。
傾斜はそれほど急な坂ばかりではないものの、繰り返し続くと、あのプラ8ではちょっと堪えた。
途中、水上駅と隣の駅である「上牧(かみもく)」の中間付近で、利根川にかかる「諏訪峡大橋」では「バンジージャンプ」が出来るようなので近くに行ってみた。
1回目12,000円。同日2回目6,000円。
橋から下を覗いてみたら、お金もらってもやれないなと思った。
今日の最後に沼田城址(公園)へ出かけたのだが、その道順はGoogle頼り。
沼田城址(公園)の位置は、山の頂上付近にあるが、Google Mapが指示する方向へ進んで行った。
車は一切通れない道で、かなりの急坂を自転車転がしながら歩いた。
道が途中から階段になってしまったので、自転車を抱えて登るハメになった。
上を見るとうんざりしてくる。
下を見たら、こんなに高いところまで上って来たのか!
肩で息して、額からは大量の汗。
沼田城址(公園)に着いた時は、クタクタでしばらくは動けなかった。
「真田信之」像と「小松姫」像。
「真田丸」での「大泉洋」と「吉田羊」を思い出した。
「鐘楼」
「戦国無双」の真田信之と小松姫。
その後、沼田駅へ行き、電車の時刻を調べたら30分後に上りの電車があるので、急いで帰り支度をした。これを逃すと、1時間半程待たねばならない。
駅前や駅内には「赤いのぼり」が、ところどころに設置されていた。
今回の輪行旅も内容の濃いものだった。
走行距離は、43km程だった。
事前に、出かけるコースに対して、いろいろなシナリオを検討した。
もし、土合駅まで電車で出かけて、そこからのスタートだったら、沼田はなかった。
やはり、約10kgの重量の自転車を抱えて、486段の階段を登った後に、プラ8でヒルクライムは自分には無理。
自分をいじめる必要はない。楽しい旅をしたいので、無謀なことは避けるべきだ。
沼田城址(公園)までの急坂の登りは想定外だったが、とても楽しい旅だった。
また、チャンスがあれば、紅葉の時期に出かけてみたい。
2023年05月25日
輪行 谷川岳 一ノ倉沢〜土合駅〜沼田城址 前編
今日、以前より輪行で行きたいと思っていた「谷川岳 一ノ倉沢」「土合駅」と「沼田城址」へ行ってきた。
谷川岳といっても、本格的な登山をするわけではなく、一ノ倉沢までのトレッキングコースを自転車で出かけるということだ。
今回も、タイヤ16インチの折りたたみ自転車「ルノープラチナライト8(以下;プラ8)」が相棒である。
尚、今日だけで200枚以上の写真を撮影して、最終的に残す写真だけを選別するだけでも時間がかかるので、今回は2回に分けて投稿する。
谷川岳は群馬と新潟の県境にある三国山脈の山で、毎年たくさんの登山者が訪れる日本百名山の一つである。
かなり険しいため、登山事故が多発しており、遭難者数世界一という記録でギネスブックにも登録されている「魔の山」らしい。
谷川岳 一ノ倉沢の道路は、通行規制されており自動車での乗り入れは出来ない。
自転車はOKである。
先週の5月19日にその規制が解除されたので、是非出かけようと思った次第である。
ところで、一ノ倉沢へは、42年前の私が中学生の頃に1度出かけている。
群馬県水上町には、川口市が所有する「水上少年自然の家」という施設があって、川口市内の中学2年生は林間学校として3泊4日の集団生活をする。
今はわからないが、私が中学生の時は、一ノ倉沢までおにぎりを持って出かけた記憶がある。
前置きが長くなったが、今朝も早い時間の電車に乗って出かけた。
川口駅から大宮方面の電車に乗る。
浦和駅6時2分の高崎行きの高崎線に乗り換える。
高崎駅で、水上行の上越線に乗り換えて8時52分に水上駅に到着。
さぁ、ここからプラ8で一ノ倉沢まで一気に走るか?
水上駅と一ノ倉沢の標高差は280m程あり、距離は13km程。
水上駅からスタートすると、ずっと上り坂を走ることになる。
普段乗っているクロスバイクならそのままゴーであるが、16インチの小さなプラ8ではかなり厳しい。
ということで、水上駅から「谷川岳ロープウェイ駅」までは、バスで行くことにした。
谷川岳ロープウェイ駅から一ノ倉沢までは、3.3kmである。
水上駅9時ちょうどのバスで20分程乗って、谷川岳ロープウェイ駅がある「谷川岳ベースプラザ」に到着した。
バスで一緒に乗り合わせた他の人たちは、ロープウェイで先へ進んだようだった。
そこから少し上っていくと、車は入れない一ノ倉沢へのルートが始まる。
とりあえず、プラ8を組み立てて出発した。
まずは、「マチガ沢」まで目指し、その後は一ノ倉沢だ。
緩やかな上り坂の山道を進んでいく。
小枝が道にたくさん落ちているので、チェーンとスプロケットの間に挟まってしまって、異音とともにこげなくなったことがあった。
また、登山客も歩いているので、スピードを出して走っては危険である。
のんびりと景色を楽しみ、新鮮な空気を味わいながら走るのがいい。
マチガ沢に到着。
谷川岳の岩壁と残雪が見える。
ここはマチガ沢を少し過ぎたあたり。
一ノ倉沢に到着。
この岩場は「剱岳」「穂高岳」とともに日本三大岩場として知られており、谷川連峰随一の岩場であるところから「一ノ倉」と名付けられたそうだ。
ギネスにも登録されている魔の山の岩壁は感動ものだ。
この先を更に進むと、「幽ノ沢」や「芝倉沢」などがあるが、自転車では無理なのでこの先はやめることにした。
また、ここまでは電気ガイドバスが運行している。
予約は不可で定員8名なので競争率が高いようだ。
この後、水上方面へ戻ることにした。
帰りは下りだから楽だろう・・・と思ったのだが?
ということで、この続きは明日以降に。
谷川岳といっても、本格的な登山をするわけではなく、一ノ倉沢までのトレッキングコースを自転車で出かけるということだ。
今回も、タイヤ16インチの折りたたみ自転車「ルノープラチナライト8(以下;プラ8)」が相棒である。
尚、今日だけで200枚以上の写真を撮影して、最終的に残す写真だけを選別するだけでも時間がかかるので、今回は2回に分けて投稿する。
谷川岳は群馬と新潟の県境にある三国山脈の山で、毎年たくさんの登山者が訪れる日本百名山の一つである。
かなり険しいため、登山事故が多発しており、遭難者数世界一という記録でギネスブックにも登録されている「魔の山」らしい。
谷川岳 一ノ倉沢の道路は、通行規制されており自動車での乗り入れは出来ない。
自転車はOKである。
先週の5月19日にその規制が解除されたので、是非出かけようと思った次第である。
ところで、一ノ倉沢へは、42年前の私が中学生の頃に1度出かけている。
群馬県水上町には、川口市が所有する「水上少年自然の家」という施設があって、川口市内の中学2年生は林間学校として3泊4日の集団生活をする。
今はわからないが、私が中学生の時は、一ノ倉沢までおにぎりを持って出かけた記憶がある。
前置きが長くなったが、今朝も早い時間の電車に乗って出かけた。
川口駅から大宮方面の電車に乗る。
浦和駅6時2分の高崎行きの高崎線に乗り換える。
高崎駅で、水上行の上越線に乗り換えて8時52分に水上駅に到着。
さぁ、ここからプラ8で一ノ倉沢まで一気に走るか?
水上駅と一ノ倉沢の標高差は280m程あり、距離は13km程。
水上駅からスタートすると、ずっと上り坂を走ることになる。
普段乗っているクロスバイクならそのままゴーであるが、16インチの小さなプラ8ではかなり厳しい。
ということで、水上駅から「谷川岳ロープウェイ駅」までは、バスで行くことにした。
谷川岳ロープウェイ駅から一ノ倉沢までは、3.3kmである。
水上駅9時ちょうどのバスで20分程乗って、谷川岳ロープウェイ駅がある「谷川岳ベースプラザ」に到着した。
バスで一緒に乗り合わせた他の人たちは、ロープウェイで先へ進んだようだった。
そこから少し上っていくと、車は入れない一ノ倉沢へのルートが始まる。
とりあえず、プラ8を組み立てて出発した。
まずは、「マチガ沢」まで目指し、その後は一ノ倉沢だ。
緩やかな上り坂の山道を進んでいく。
小枝が道にたくさん落ちているので、チェーンとスプロケットの間に挟まってしまって、異音とともにこげなくなったことがあった。
また、登山客も歩いているので、スピードを出して走っては危険である。
のんびりと景色を楽しみ、新鮮な空気を味わいながら走るのがいい。
マチガ沢に到着。
谷川岳の岩壁と残雪が見える。
ここはマチガ沢を少し過ぎたあたり。
一ノ倉沢に到着。
この岩場は「剱岳」「穂高岳」とともに日本三大岩場として知られており、谷川連峰随一の岩場であるところから「一ノ倉」と名付けられたそうだ。
ギネスにも登録されている魔の山の岩壁は感動ものだ。
この先を更に進むと、「幽ノ沢」や「芝倉沢」などがあるが、自転車では無理なのでこの先はやめることにした。
また、ここまでは電気ガイドバスが運行している。
予約は不可で定員8名なので競争率が高いようだ。
この後、水上方面へ戻ることにした。
帰りは下りだから楽だろう・・・と思ったのだが?
ということで、この続きは明日以降に。