私は、長野県長野市で生まれた。
両親も長野市出身であるが、私が2歳頃から両親共々埼玉県内で生活している。
そのせいもあって、毎年2回ほど長野市へ電車か車で行っていた。
しかし、両親が他界したのもあるが、もう長野へは12年程行っていない。
今日久しぶりに長野県軽井沢町へ輪行で行ってきた。
いつものタイヤ16インチの折りたたみ自転車「プラチナライト8(以下; プラ8)」がお供である。
さて、軽井沢へ行くには、「交通の難所」と呼ばれた、群馬県と長野県の境界にある「碓氷峠」を超える必要がある。
66.7パーミルという急勾配のため「アプト式鉄道」(線路の中央にノコギリ型のラックレールを置き、車両の床下には歯車をかみ合わせて走らせた方式)で攻略した時代があった。
アプト式鉄道は昭和38年まで使用されたようなので、私も幼年の頃に乗ったことがあるかもしれない。
アプト式以後は、「EF63形」という電気機関車が活躍したようだ。
この機関車については、子供の頃の写真にある。
軽井沢駅には、午前7時32分に到着した。
川口から乗り換えの時間を入れて、1時間20分程だった。
まずは、プラ8を走れる状態にして、「旧軽井沢」を抜けて「熊野皇大神社」を目指した。
旧軽井沢の街並みをゆっくり走っていく。
まだ朝8時前なので、どこも空いていない。
「軽井沢聖パウロカトリック教会」
たくさんの有名人が挙式を上げたことでも有名。
「軽井沢観光会館」洋館が素敵だ。
古いのか?と思いきや、比較的新しい感じ。
軽井沢には、こういった洋風建築が多い。
先へ進む。
「芭蕉句碑」
「馬をさへ ながむる 雪の あした哉」
松尾芭蕉の「野ざらし紀行」の中の一句で、芭蕉翁150回忌に建てられたもののようだ。
「日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂」
軽井沢で最も古い教会。
更に先へ進むと「矢ヶ崎川」のちょっと先に公衆トイレやバス停があった。
また、よく見ると「自転車はここまで」の案内。
ここから先は徒歩になる。
このことは事前に知っていたので、覚悟の上のはずだった・・・。
とりあえず、ここからはプラ8を押して歩くことにした。
写真ではわかりづらいが、結構な登りの急坂が長く続く。
ずっと続く登り坂の3km程を約45分間、碓氷峠の頂上付近にある「熊野皇大神社」まで歩いた。
体中から汗が吹き出て、足はガクガクになり、かなり堪えた(泣)。
「熊野皇大神社」にやっと着いた。
神社が隣同士。
左の「熊野皇大神社(長野県側)」と右の「熊野神社(群馬県側)」。
一応、いずれの神社にも参拝した。
長野と群馬の県境に立ってみた。
昔の国境を示す石碑と赤い線で県境を表している。
熊野皇大神社の前の道は旧中山道であるが、県境よりやや群馬県寄りの、このあたりが頂上と思われる。
ちょうど頂点付近にプラ8を置いてみた。
雨が降ったら、青い線の群馬県側と赤い線の長野県側に雨水は分けて流れることになる。
確か、NHKの「ブラタモリ」でも紹介していたと思う。
群馬県側へもう少し先へ進むと、右に下りの細い道が見えた。
碓氷峠を下る旧中山道だ。
その道は、自転車では無理なので、またチャンスがあったら歩いてみたい(いや、きついから無理かな?)。
その後、すぐ近くにある「旧碓氷峠見晴台」へ。
来て良かった〜〜!
「タゴール記念碑」
さぁ、頂上付近まで登ってきたのだから、帰りは下るだけだ。
旧碓氷峠見晴台から登ってきた道を少し戻ると、写真では右に下る道がある。
その道を下って行けば、国道18号の旧道に出ることになる。
この続きは「後編」へ。
後編は明日になるかも、ちょっと疲れが・・・。
2024年06月13日
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