昨夜、インスタグラムを見ていたら「舎人公園」で「ハス」がきれいに写っている写真が投稿されていた。
また、「ワークマン」のサイトで夏向けの衣類や靴の良さげなのを見かけた。
舎人公園からの帰りに店舗を通るので、立ち寄ることにした。
いつもの舎人公園の噴水の前で。
今日は、ワークマンとスーパーへの買い物があるので、前カゴ付きの20インチの折りたたみ自転車で出かけた。
数は少なく見頃は過ぎていたが、「アジサイ」をところどころで見かけた。
2ヶ月ほど前に楽しませてくれた「ネモフィラ」の後は、更地になっていた。
舎人公園はとても広く、ハスが咲いているのは、「バーベキュー広場」があるエリア内の「ハス池」にある。
舎人公園MAP
ハス池。
赤と白のハスがきれいに咲いていた。
ちょうど見頃状態だった。
舎人公園のハスは初めて見たが、適度な広さのところに鑑賞しやすく整備されているのが素晴らしい。
四季折々といろいろな種類の花を届けてくれるので、とても魅力ある公園だと思う。
その後、帰りがけに「ワークマン」に寄った。
店内をいろいろと物色してみているうちに、たくさんのお客さんで賑わってきた。
結局、何も買わずに店を出た(苦笑)。
ワークマンでも、「ワークマンプラス」の方に出かけた方が良さそうだな。
その後、スーパーで買い物して帰宅した。
この日の走行距離は、12km程だった。
2024年06月22日
2024年06月20日
輪行 奥多摩〜青梅
来週から関東でも梅雨入りするようなので、奥多摩方面へ輪行旅をすることにした。
今日もいつものタイヤ16インチの折りたたみ自転車「プラチナライト8(以下; プラ8)」がお供である。
「JR川口駅」から「JR奥多摩駅」までは、南浦和、西国分寺、青梅と3回乗り換えて、タイミングがよければ、所要時間2時間30分程で行くことが出来る。
今日は、青梅〜奥多摩間で線路に人が侵入して緊急停車したこともあって、3時間程かかった。
奥多摩駅には午前10時半頃到着した。
遠くに来たものだと思ったが、奥多摩は東京都だよなぁ!
プラ8を走れる状態にして、最終地「青梅駅」を目指し、方々を散策することにした。
青梅駅方面へ10分ほど走行したらトンネルが。
このトンネルの上に「数馬の切通し」があるようだ。
また、よく見ると右脇に歩道がある。
そちらへ行ってみたら、小さなトンネル。
そして、水が流れている右横に苔だらけの階段が見える。
どうやら、そこを登っていくようだ。
当然、自転車は置いていった。
かなり険しいところを恐る恐る登っていったら、道らしいところに出た。
そして、案内板があった。
ところで、「数馬の切通し」とは何?
「江戸時代の初めまで、上部の山越が唯一の道だったが、岩に火を焚いて水をかけ脆くした上で、石ミノやツルハシで削るという難工事の末、「切通し」を開削。これによって、甲州へ向かう道が青梅街道の延長として利用されるようになった」ようだ。
これか?
それともこれ?
案内板では2箇所あるようなので、いずれも「数馬の切通し」なのかもしれない。
近くをうろちょろしたが、よくわからなかった。
何よりその時は、プラ8を置いた場所に無事に戻れるか?を心配した。
無事に戻って、すぐ近くの「数馬峡橋(かずまきょうばし)」へ向かった。
数馬峡橋の中央からのショット。
先へ進んで、「白丸ダム」へ。
ダムの方へ降りて、下流を見ると「魚道(ぎょどう)」が見える。
魚道とは、堰(せき)やダムなどで堰き止められた川を、魚たちが行き来きできるようにした専用の道のことをいう。
「エコっと白丸」は休みだった。
その後、「鳩ノ巣渓谷」と「双竜の滝」へ向かった。
「鳩ノ巣小橋」
橋の中央からのショット。
「双竜の滝」
案内のように、それぞれの観光の位置が少し離れている。
まずは自転車を置いて、坂や階段を下って目的地に着く。
その後、自転車のあるところまで登って来る。
この繰り返しで、今日も汗だくだくになり、ヘトヘトになった(泣)。
ところで、奥多摩駅に近い付近では、「多摩川」に沿った「国道411号」を中心に走行した。
こんな感じの道で自然を感じながら走れるので、とても快適だった。
でも、奥多摩から離れてからは、国道411号にはこだわらず、「奥多摩大橋」を渡る道を走り、青梅線の線路沿いの道を走ってみた。
そして、青梅駅の近くまで来て、青梅市が昭和レトロな雰囲気を楽しめる場所としても有名なので、市街地を軽く散策してみた。
古くからある写真屋さん。
「昭和レトロ商品博物館」
「昭和幻燈館」
「ぎゃらりーカフェ はこ哉」
他にも有名なところでは、「青梅赤塚不二夫会館」などがあるようだ。
「JR青梅駅」
奥多摩には初めて出かけたが、渓谷を中心の豊かな自然があるので、登山やハイキング、また釣りやバーベキューなどを楽しめる観光地。でも、考えてみたら東京都であること。
もう少しいろいろと調べて、定番の名所など散策したら、とても楽しめそうだし、それには数日必要と思われた。
この日のプラ8での走行距離は、28km程だった。
また、歩いた距離は、7km弱だった。
今日もいつものタイヤ16インチの折りたたみ自転車「プラチナライト8(以下; プラ8)」がお供である。
「JR川口駅」から「JR奥多摩駅」までは、南浦和、西国分寺、青梅と3回乗り換えて、タイミングがよければ、所要時間2時間30分程で行くことが出来る。
今日は、青梅〜奥多摩間で線路に人が侵入して緊急停車したこともあって、3時間程かかった。
奥多摩駅には午前10時半頃到着した。
遠くに来たものだと思ったが、奥多摩は東京都だよなぁ!
プラ8を走れる状態にして、最終地「青梅駅」を目指し、方々を散策することにした。
青梅駅方面へ10分ほど走行したらトンネルが。
このトンネルの上に「数馬の切通し」があるようだ。
また、よく見ると右脇に歩道がある。
そちらへ行ってみたら、小さなトンネル。
そして、水が流れている右横に苔だらけの階段が見える。
どうやら、そこを登っていくようだ。
当然、自転車は置いていった。
かなり険しいところを恐る恐る登っていったら、道らしいところに出た。
そして、案内板があった。
ところで、「数馬の切通し」とは何?
「江戸時代の初めまで、上部の山越が唯一の道だったが、岩に火を焚いて水をかけ脆くした上で、石ミノやツルハシで削るという難工事の末、「切通し」を開削。これによって、甲州へ向かう道が青梅街道の延長として利用されるようになった」ようだ。
これか?
それともこれ?
案内板では2箇所あるようなので、いずれも「数馬の切通し」なのかもしれない。
近くをうろちょろしたが、よくわからなかった。
何よりその時は、プラ8を置いた場所に無事に戻れるか?を心配した。
無事に戻って、すぐ近くの「数馬峡橋(かずまきょうばし)」へ向かった。
数馬峡橋の中央からのショット。
先へ進んで、「白丸ダム」へ。
ダムの方へ降りて、下流を見ると「魚道(ぎょどう)」が見える。
魚道とは、堰(せき)やダムなどで堰き止められた川を、魚たちが行き来きできるようにした専用の道のことをいう。
「エコっと白丸」は休みだった。
その後、「鳩ノ巣渓谷」と「双竜の滝」へ向かった。
「鳩ノ巣小橋」
橋の中央からのショット。
「双竜の滝」
案内のように、それぞれの観光の位置が少し離れている。
まずは自転車を置いて、坂や階段を下って目的地に着く。
その後、自転車のあるところまで登って来る。
この繰り返しで、今日も汗だくだくになり、ヘトヘトになった(泣)。
ところで、奥多摩駅に近い付近では、「多摩川」に沿った「国道411号」を中心に走行した。
こんな感じの道で自然を感じながら走れるので、とても快適だった。
でも、奥多摩から離れてからは、国道411号にはこだわらず、「奥多摩大橋」を渡る道を走り、青梅線の線路沿いの道を走ってみた。
そして、青梅駅の近くまで来て、青梅市が昭和レトロな雰囲気を楽しめる場所としても有名なので、市街地を軽く散策してみた。
古くからある写真屋さん。
「昭和レトロ商品博物館」
「昭和幻燈館」
「ぎゃらりーカフェ はこ哉」
他にも有名なところでは、「青梅赤塚不二夫会館」などがあるようだ。
「JR青梅駅」
奥多摩には初めて出かけたが、渓谷を中心の豊かな自然があるので、登山やハイキング、また釣りやバーベキューなどを楽しめる観光地。でも、考えてみたら東京都であること。
もう少しいろいろと調べて、定番の名所など散策したら、とても楽しめそうだし、それには数日必要と思われた。
この日のプラ8での走行距離は、28km程だった。
また、歩いた距離は、7km弱だった。
2024年06月14日
輪行 軽井沢〜横川 後編
旧碓氷峠を下る道を国道18号の旧道まで走った。
途中、わずかに登りもあったが、ほとんど下りなので、ハンドルとブレーキの操作が中心になると思われた。
しかし、この道は路面が綺麗に舗装されているわけではなかった。
小枝や石ころがたくさん落ちているし、未舗装に近い状態のゴツゴツしているところも多く、16インチのタイヤでは、かなり慎重に路面を見ながら運転した。
くぼみもたくさんあるので、タイヤがハマって谷底へ・・・なんてことにならないことを願った。
走行中、視野が開けて山々が見えた時は、心が洗われる気分になった。
また、熊野皇大神社まで登った時の汗だくだくの状態も、坂を下って風を切ることで、すっかり汗も引き、心地良くなった。
旧碓氷峠見晴台から6km程下ると、国道18号の旧道に出た。
さぁ、国道18号の旧道を走ろうと思ったら、前方に何か動物が!
山道でひとけの少ないところを走るので、トラブルにも備えて目立つ「真っ赤なTシャツ」を着ていた。
赤に反応する、ヤバそうな獣だと怖いな!と思った。
スマホのカメラを望遠最大にして見たら、どうやら「ヤギ」のようだった。
そのヤギ、なんだか疲れているような感じだった。
ヤギの方を見ないようにして、静かに先へ進んだ。
ヤギの場所からは、約10km先の「碓氷第三橋梁」通称「めがね橋」を目指して下っていった。
途中、たくさんの廃線跡を見ることが出来た。
そうそう、国道18号線(旧道)のカーブは全部で184個ある。
私も、自分の車の運転で何回か走ったことがあるが、「碓氷バイパス」が出来てからは、ほとんど利用することはなかった。
それが、まさか自転車で走る日が来るとは思わなかった。
ここは「碓氷第六橋梁」。
ここは「碓氷第五橋梁」。
「めがね橋(第三橋梁)」に着いた!
日本最大のレンガ造りのアーチ橋で川底からの高さが31mあるそうだ。
着いた時は、私以外誰もいなかった。
いろいろなアングルから。
ここからは上に登って、「アプトの道」(アプト式鉄道時代の廃線敷を利用した、横川駅〜熊ノ平駅の間の遊歩道)を歩くつもりである。
アプトの道は自転車での走行は禁止されているので、プラ8を押して歩いた。
この階段を、重さ9kg程のプラ8を抱えて登った(きつかった!)。
こちらのトンネルの先は、アプトの道の終点である「旧熊野平駅」に続く。
今回はパスして、アプトの道を「横川駅」目指して歩くことにした。
めがね橋の中央から、国道18号線(旧道)を見た。
トンネルの手前からのショット。
トンネルの中。
これを見て、アメリカのドラマ「タイムトンネル」(1966年)を思い出した。(古い!)
壁はレンガでしっかりと積まれている。
トンネルを出たと思ったら、またトンネル。
アプトの道では、10個ある。
横川駅まで、あと4.3km(65分)の案内。
「碓氷湖」が近いので寄ってみることにした。
湖の周りを歩けば、遠くに見える橋を渡ることが出来るようだが、とてもそんな元気はないので、アプトの道へ戻った。
トロッコ列車「シェルパくん」の駅に来た。
残念ながら、土日中心の運行のようだ。
ホームはこんな感じ。
アプト線の名残。
線路が見える。
アプトの道らしくなった。
「旧丸山変電所」
このレンガ造りの手前が蓄電室で奥の建物が機械室。
明治45年に建設されたようだ。
「碓氷峠鉄道文化むら」にある「EF63」が見えた。
ここでは、EF63の運転の体験が出来るようだ。
詳しくは、こちら。
「碓氷関所跡」
江戸幕府が1623年に設定された当時の物が残っている。
「横川駅」に到着!!
昼時なので、「おぎのや」で「峠の釜めし定食(1,600円)」を食べた。
最後にここの釜飯を食べたのは何年前だろう?
新幹線が出来る前は、横川駅のホームで「ポリ茶瓶」と一緒に売っていたのを買って、電車の中で食べたものだった。
釜飯の容器は、包んでもらって、そのまま持ち帰った。
帰りは、横川駅から普通列車を乗り継いで帰宅した。
この日のプラ8での走行距離は、23km程だった。
また、歩いた距離は、9km程だった。
体力的にかなり辛いところもあったが、とても味わい深い輪行旅だった。
今回は、オフシーズンのタイミングと早い時間に行動したことで、どこも空いていて、自分のペースで動けたのはとても良かった。
当初、紅葉の時期に行こうと計画したが、人出が多くなり今回のようにはならないだろう。
帰宅してからのビールが格別に美味かった!(微笑)
途中、わずかに登りもあったが、ほとんど下りなので、ハンドルとブレーキの操作が中心になると思われた。
しかし、この道は路面が綺麗に舗装されているわけではなかった。
小枝や石ころがたくさん落ちているし、未舗装に近い状態のゴツゴツしているところも多く、16インチのタイヤでは、かなり慎重に路面を見ながら運転した。
くぼみもたくさんあるので、タイヤがハマって谷底へ・・・なんてことにならないことを願った。
走行中、視野が開けて山々が見えた時は、心が洗われる気分になった。
また、熊野皇大神社まで登った時の汗だくだくの状態も、坂を下って風を切ることで、すっかり汗も引き、心地良くなった。
旧碓氷峠見晴台から6km程下ると、国道18号の旧道に出た。
さぁ、国道18号の旧道を走ろうと思ったら、前方に何か動物が!
山道でひとけの少ないところを走るので、トラブルにも備えて目立つ「真っ赤なTシャツ」を着ていた。
赤に反応する、ヤバそうな獣だと怖いな!と思った。
スマホのカメラを望遠最大にして見たら、どうやら「ヤギ」のようだった。
そのヤギ、なんだか疲れているような感じだった。
ヤギの方を見ないようにして、静かに先へ進んだ。
ヤギの場所からは、約10km先の「碓氷第三橋梁」通称「めがね橋」を目指して下っていった。
途中、たくさんの廃線跡を見ることが出来た。
そうそう、国道18号線(旧道)のカーブは全部で184個ある。
私も、自分の車の運転で何回か走ったことがあるが、「碓氷バイパス」が出来てからは、ほとんど利用することはなかった。
それが、まさか自転車で走る日が来るとは思わなかった。
ここは「碓氷第六橋梁」。
ここは「碓氷第五橋梁」。
「めがね橋(第三橋梁)」に着いた!
日本最大のレンガ造りのアーチ橋で川底からの高さが31mあるそうだ。
着いた時は、私以外誰もいなかった。
いろいろなアングルから。
ここからは上に登って、「アプトの道」(アプト式鉄道時代の廃線敷を利用した、横川駅〜熊ノ平駅の間の遊歩道)を歩くつもりである。
アプトの道は自転車での走行は禁止されているので、プラ8を押して歩いた。
この階段を、重さ9kg程のプラ8を抱えて登った(きつかった!)。
こちらのトンネルの先は、アプトの道の終点である「旧熊野平駅」に続く。
今回はパスして、アプトの道を「横川駅」目指して歩くことにした。
めがね橋の中央から、国道18号線(旧道)を見た。
トンネルの手前からのショット。
トンネルの中。
これを見て、アメリカのドラマ「タイムトンネル」(1966年)を思い出した。(古い!)
壁はレンガでしっかりと積まれている。
トンネルを出たと思ったら、またトンネル。
アプトの道では、10個ある。
横川駅まで、あと4.3km(65分)の案内。
「碓氷湖」が近いので寄ってみることにした。
湖の周りを歩けば、遠くに見える橋を渡ることが出来るようだが、とてもそんな元気はないので、アプトの道へ戻った。
トロッコ列車「シェルパくん」の駅に来た。
残念ながら、土日中心の運行のようだ。
ホームはこんな感じ。
アプト線の名残。
線路が見える。
アプトの道らしくなった。
「旧丸山変電所」
このレンガ造りの手前が蓄電室で奥の建物が機械室。
明治45年に建設されたようだ。
「碓氷峠鉄道文化むら」にある「EF63」が見えた。
ここでは、EF63の運転の体験が出来るようだ。
詳しくは、こちら。
「碓氷関所跡」
江戸幕府が1623年に設定された当時の物が残っている。
「横川駅」に到着!!
昼時なので、「おぎのや」で「峠の釜めし定食(1,600円)」を食べた。
最後にここの釜飯を食べたのは何年前だろう?
新幹線が出来る前は、横川駅のホームで「ポリ茶瓶」と一緒に売っていたのを買って、電車の中で食べたものだった。
釜飯の容器は、包んでもらって、そのまま持ち帰った。
帰りは、横川駅から普通列車を乗り継いで帰宅した。
この日のプラ8での走行距離は、23km程だった。
また、歩いた距離は、9km程だった。
体力的にかなり辛いところもあったが、とても味わい深い輪行旅だった。
今回は、オフシーズンのタイミングと早い時間に行動したことで、どこも空いていて、自分のペースで動けたのはとても良かった。
当初、紅葉の時期に行こうと計画したが、人出が多くなり今回のようにはならないだろう。
帰宅してからのビールが格別に美味かった!(微笑)
2024年06月13日
輪行 軽井沢〜横川 前編
私は、長野県長野市で生まれた。
両親も長野市出身であるが、私が2歳頃から両親共々埼玉県内で生活している。
そのせいもあって、毎年2回ほど長野市へ電車か車で行っていた。
しかし、両親が他界したのもあるが、もう長野へは12年程行っていない。
今日久しぶりに長野県軽井沢町へ輪行で行ってきた。
いつものタイヤ16インチの折りたたみ自転車「プラチナライト8(以下; プラ8)」がお供である。
さて、軽井沢へ行くには、「交通の難所」と呼ばれた、群馬県と長野県の境界にある「碓氷峠」を超える必要がある。
66.7パーミルという急勾配のため「アプト式鉄道」(線路の中央にノコギリ型のラックレールを置き、車両の床下には歯車をかみ合わせて走らせた方式)で攻略した時代があった。
アプト式鉄道は昭和38年まで使用されたようなので、私も幼年の頃に乗ったことがあるかもしれない。
アプト式以後は、「EF63形」という電気機関車が活躍したようだ。
この機関車については、子供の頃の写真にある。
軽井沢駅には、午前7時32分に到着した。
川口から乗り換えの時間を入れて、1時間20分程だった。
まずは、プラ8を走れる状態にして、「旧軽井沢」を抜けて「熊野皇大神社」を目指した。
旧軽井沢の街並みをゆっくり走っていく。
まだ朝8時前なので、どこも空いていない。
「軽井沢聖パウロカトリック教会」
たくさんの有名人が挙式を上げたことでも有名。
「軽井沢観光会館」洋館が素敵だ。
古いのか?と思いきや、比較的新しい感じ。
軽井沢には、こういった洋風建築が多い。
先へ進む。
「芭蕉句碑」
「馬をさへ ながむる 雪の あした哉」
松尾芭蕉の「野ざらし紀行」の中の一句で、芭蕉翁150回忌に建てられたもののようだ。
「日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂」
軽井沢で最も古い教会。
更に先へ進むと「矢ヶ崎川」のちょっと先に公衆トイレやバス停があった。
また、よく見ると「自転車はここまで」の案内。
ここから先は徒歩になる。
このことは事前に知っていたので、覚悟の上のはずだった・・・。
とりあえず、ここからはプラ8を押して歩くことにした。
写真ではわかりづらいが、結構な登りの急坂が長く続く。
ずっと続く登り坂の3km程を約45分間、碓氷峠の頂上付近にある「熊野皇大神社」まで歩いた。
体中から汗が吹き出て、足はガクガクになり、かなり堪えた(泣)。
「熊野皇大神社」にやっと着いた。
神社が隣同士。
左の「熊野皇大神社(長野県側)」と右の「熊野神社(群馬県側)」。
一応、いずれの神社にも参拝した。
長野と群馬の県境に立ってみた。
昔の国境を示す石碑と赤い線で県境を表している。
熊野皇大神社の前の道は旧中山道であるが、県境よりやや群馬県寄りの、このあたりが頂上と思われる。
ちょうど頂点付近にプラ8を置いてみた。
雨が降ったら、青い線の群馬県側と赤い線の長野県側に雨水は分けて流れることになる。
確か、NHKの「ブラタモリ」でも紹介していたと思う。
群馬県側へもう少し先へ進むと、右に下りの細い道が見えた。
碓氷峠を下る旧中山道だ。
その道は、自転車では無理なので、またチャンスがあったら歩いてみたい(いや、きついから無理かな?)。
その後、すぐ近くにある「旧碓氷峠見晴台」へ。
来て良かった〜〜!
「タゴール記念碑」
さぁ、頂上付近まで登ってきたのだから、帰りは下るだけだ。
旧碓氷峠見晴台から登ってきた道を少し戻ると、写真では右に下る道がある。
その道を下って行けば、国道18号の旧道に出ることになる。
この続きは「後編」へ。
後編は明日になるかも、ちょっと疲れが・・・。
両親も長野市出身であるが、私が2歳頃から両親共々埼玉県内で生活している。
そのせいもあって、毎年2回ほど長野市へ電車か車で行っていた。
しかし、両親が他界したのもあるが、もう長野へは12年程行っていない。
今日久しぶりに長野県軽井沢町へ輪行で行ってきた。
いつものタイヤ16インチの折りたたみ自転車「プラチナライト8(以下; プラ8)」がお供である。
さて、軽井沢へ行くには、「交通の難所」と呼ばれた、群馬県と長野県の境界にある「碓氷峠」を超える必要がある。
66.7パーミルという急勾配のため「アプト式鉄道」(線路の中央にノコギリ型のラックレールを置き、車両の床下には歯車をかみ合わせて走らせた方式)で攻略した時代があった。
アプト式鉄道は昭和38年まで使用されたようなので、私も幼年の頃に乗ったことがあるかもしれない。
アプト式以後は、「EF63形」という電気機関車が活躍したようだ。
この機関車については、子供の頃の写真にある。
軽井沢駅には、午前7時32分に到着した。
川口から乗り換えの時間を入れて、1時間20分程だった。
まずは、プラ8を走れる状態にして、「旧軽井沢」を抜けて「熊野皇大神社」を目指した。
旧軽井沢の街並みをゆっくり走っていく。
まだ朝8時前なので、どこも空いていない。
「軽井沢聖パウロカトリック教会」
たくさんの有名人が挙式を上げたことでも有名。
「軽井沢観光会館」洋館が素敵だ。
古いのか?と思いきや、比較的新しい感じ。
軽井沢には、こういった洋風建築が多い。
先へ進む。
「芭蕉句碑」
「馬をさへ ながむる 雪の あした哉」
松尾芭蕉の「野ざらし紀行」の中の一句で、芭蕉翁150回忌に建てられたもののようだ。
「日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂」
軽井沢で最も古い教会。
更に先へ進むと「矢ヶ崎川」のちょっと先に公衆トイレやバス停があった。
また、よく見ると「自転車はここまで」の案内。
ここから先は徒歩になる。
このことは事前に知っていたので、覚悟の上のはずだった・・・。
とりあえず、ここからはプラ8を押して歩くことにした。
写真ではわかりづらいが、結構な登りの急坂が長く続く。
ずっと続く登り坂の3km程を約45分間、碓氷峠の頂上付近にある「熊野皇大神社」まで歩いた。
体中から汗が吹き出て、足はガクガクになり、かなり堪えた(泣)。
「熊野皇大神社」にやっと着いた。
神社が隣同士。
左の「熊野皇大神社(長野県側)」と右の「熊野神社(群馬県側)」。
一応、いずれの神社にも参拝した。
長野と群馬の県境に立ってみた。
昔の国境を示す石碑と赤い線で県境を表している。
熊野皇大神社の前の道は旧中山道であるが、県境よりやや群馬県寄りの、このあたりが頂上と思われる。
ちょうど頂点付近にプラ8を置いてみた。
雨が降ったら、青い線の群馬県側と赤い線の長野県側に雨水は分けて流れることになる。
確か、NHKの「ブラタモリ」でも紹介していたと思う。
群馬県側へもう少し先へ進むと、右に下りの細い道が見えた。
碓氷峠を下る旧中山道だ。
その道は、自転車では無理なので、またチャンスがあったら歩いてみたい(いや、きついから無理かな?)。
その後、すぐ近くにある「旧碓氷峠見晴台」へ。
来て良かった〜〜!
「タゴール記念碑」
さぁ、頂上付近まで登ってきたのだから、帰りは下るだけだ。
旧碓氷峠見晴台から登ってきた道を少し戻ると、写真では右に下る道がある。
その道を下って行けば、国道18号の旧道に出ることになる。
この続きは「後編」へ。
後編は明日になるかも、ちょっと疲れが・・・。
2024年06月09日
ロードを「リリーフバー」に交換
ブルホーン化して乗っているロードバイクを「東京サンエス」から発売されている「VENO リリーフバー」に変更する予定であることは、6月3日投稿した記事のとおりである。
それが届いた。まさに変形ハンドルだ!
先端から先端までの長さが「620mm」と長い。
短くカット出来るように、先端に目盛りが付いていた。
ちなみに、長さ600mmを超える長さのハンドルでは歩道を走っては行けないことになっている。
「STI」を取り付ける位置には滑り止めが施されていた。
交換前のブルホーン化されている状態。
バーテープを解いて、早速交換してみた。
この状態で軽く走ってみた。
ハンドル長620mmは、すごく長く感じたので、左右30mmずつカットすることにした。
これにより、長さ560mmになった。
STIの位置を決めて、バーテープを巻いてみた。
通常握る位置はこの辺になると思われる。
でも、この辺の位置で運転した場合、指がシフターの変速部分に当たってしまい、咄嗟の時にブレーキを引きにくくなる。
いろいろSTIの位置を替えたり、ハンドルの向きを替えたりしているうちに、なぜこのハンドルの長さが620mmと長いのかが理解できた。
それは極力、手の位置はブレーキレバーから離れたところに置くことで、操作しやすいように設計されているように思われた。
そうなると左右30mmずつカットしてしまったのは、STIの位置決めを難しくしてしまったか!(泣)
その後、何度か家の周りをテスト走行してSTIの位置を何度も変更して、下記の位置に落ち着いた。
バーテープのままだと手が痛くなりそうなので、今までクロスバイクで使っていた「幅9cmのエルゴグリップ」を付けた。
また、冬用の手袋をはめて運転することを想定して位置を決めた。
レバーがハンドルより、斜め下へ向くようにすることで、指が入る隙間を確保できた。
咄嗟の時のブレーキングも出来るし、ギヤ変速も全く問題ない。
ここを握っても操作できるし、
更に深く握っても問題ない。
全体はこんな感じ。いい感じになった!
一見、クロスバイクに見える。
自分好みの配置を求めるまでは悪戦苦闘したが、最終的に快適な運転ができる状態になったと思う。
またもし、このハンドルに飽きても、元のブルホーンハンドルやドロップハンドルに戻すことも出来るのはすごくいい。
ドロップハンドルに飽きた人や慣れない人、また交通量の多い道を走る人には、お勧めのハンドルと思われる。
それが届いた。まさに変形ハンドルだ!
先端から先端までの長さが「620mm」と長い。
短くカット出来るように、先端に目盛りが付いていた。
ちなみに、長さ600mmを超える長さのハンドルでは歩道を走っては行けないことになっている。
「STI」を取り付ける位置には滑り止めが施されていた。
交換前のブルホーン化されている状態。
バーテープを解いて、早速交換してみた。
この状態で軽く走ってみた。
ハンドル長620mmは、すごく長く感じたので、左右30mmずつカットすることにした。
これにより、長さ560mmになった。
STIの位置を決めて、バーテープを巻いてみた。
通常握る位置はこの辺になると思われる。
でも、この辺の位置で運転した場合、指がシフターの変速部分に当たってしまい、咄嗟の時にブレーキを引きにくくなる。
いろいろSTIの位置を替えたり、ハンドルの向きを替えたりしているうちに、なぜこのハンドルの長さが620mmと長いのかが理解できた。
それは極力、手の位置はブレーキレバーから離れたところに置くことで、操作しやすいように設計されているように思われた。
そうなると左右30mmずつカットしてしまったのは、STIの位置決めを難しくしてしまったか!(泣)
その後、何度か家の周りをテスト走行してSTIの位置を何度も変更して、下記の位置に落ち着いた。
バーテープのままだと手が痛くなりそうなので、今までクロスバイクで使っていた「幅9cmのエルゴグリップ」を付けた。
また、冬用の手袋をはめて運転することを想定して位置を決めた。
レバーがハンドルより、斜め下へ向くようにすることで、指が入る隙間を確保できた。
咄嗟の時のブレーキングも出来るし、ギヤ変速も全く問題ない。
ここを握っても操作できるし、
更に深く握っても問題ない。
全体はこんな感じ。いい感じになった!
一見、クロスバイクに見える。
自分好みの配置を求めるまでは悪戦苦闘したが、最終的に快適な運転ができる状態になったと思う。
またもし、このハンドルに飽きても、元のブルホーンハンドルやドロップハンドルに戻すことも出来るのはすごくいい。
ドロップハンドルに飽きた人や慣れない人、また交通量の多い道を走る人には、お勧めのハンドルと思われる。