松本駅に到着後、1時間半ほど駅周辺を散策した。
駅の東口の「お城口」へ出ると、6方向へ進む道があるようだ。
松本城が、北東の方角にあるので、駅と城を結んだ線の周辺が栄えているだろうから、とりあえずそちらの方向へ歩いていった。
「中町通りの商店街」

漆喰の白と黒の土蔵造りの建物が多い街並みは、まさに城下町の面影がある。

そこから近くを流れる「女鳥羽川(めとばがわ)」を渡って、「縄手通り(ナワテ)」へ進んだ。

城の南総堀と女鳥羽川に挟まれて「縄のように細い土手」というところから由来して、「四柱神社(よはしら)」の参道として発達したようだ。

また、高度成長時代の女鳥羽川はかなり汚れていたのを、清流しか生息しない「カジカカエル」が棲めるような綺麗な川にしたいという願いを込めて「カエル大明神」をお祀りしたようだ。

縄手通りは「かえるの町」

縄手通りから女鳥羽川へ降りる小径があり、桜の木の下でくつろぐ人達を見かけた。

「なわて若返りの水」
少し飲んでみた。若返るかな?

四柱神社の鳥居。

四柱とは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の四人の神をさし、すべての願い事が叶う「願い事むすびの神」だそうだ。

時間なので、松本駅へ戻った。
駅前で「Matsumoto Cycle Station」を見かけた。

松本市が設置し、メンテナンス用具や更衣室を備え、自転車で旅をするサイクルツーリズムの活性化を図っているようだ。素晴らしい!

9日の散策はこれで終了し宿泊。
10日は、松本城を中心に散策したが、朝から雲行きが怪しかった。
松本城へ着くと、「あれっ、工事している?」

どうやら、今年の12月末まで堀の中の堆積物を取り除くための作業をしているようだ。
「奈良井宿に続いて、松本城も?!」と内心不安な気持ちになった。
とりあえず、城の東側の「太鼓門」から入っていく。

太鼓門の手前の「枡形」
城に侵入しようとする敵を四方から射撃し、門を守るための防御施設。

この高さが4m程ある大きな石は玄蕃石(げんばいし)。

「高麗門」の方へ歩いていったら、めちゃ多い観光客の行列。
門の中でもずっと並んでいたので、登城にはかなり時間がかかりそうな気配だ。
とりあえず、少し城の周りを回ってから、あとで登城するかを考えようと思った。

松本城。

松本城の特徴などは、ここで説明しないが、私が最後にここへ来て見たのが50年ほど前。
荘厳で美しい佇まいに感動してしまった。

「埋橋(うずみばし)」の付近で堀の工事をしていた。

桜の方は、満開だった。

いい時期に来れて良かった。

松本城の北側にある「松本神社」。

そして、すぐ近くに湧き水。

松本市内では、湧き水スポットをよく見かける。
松本は北アルプスから流れ出た河川によって出来た扇状地で水が豊富である。
市内では「
水巡りMAP」なども用意している。
ペットボトルの水が少なくなっていたので、ここの水で満杯にした。
その後、「旧開智学校」を見てきた。

「擬洋風建築」と呼ばれた洋風とも和風ともいえない不思議な建築である。
外観は洋風だが、屋根には瓦が葺かれている。
すぐ近くに「旧司祭館」。
フランス人のクレマン神父が、布教するために造られた松本市内で最古の西洋館のようだ。

その後、登城するために再度松本城へ戻ったが、更に順番待ちの人が多くなっていたので諦めた(泣)。
更に、雨も降ってきたので(11時20分頃)、ここからシェアサイクルで他所を観光するつもりだったが、やめることにした(泣)。
小雨の中を急ぎ足で松本駅へ行き、12時10分の新宿行き「あずさ26号」に乗って帰ることにした。
特急あずさに乗る前に、駅西口の近くの「
おやき高峯」という、30年以上続く専門店で下記のおやきを買った。


車内で食べた。皮が肉厚。

私は、同じ長野県内でも創業121年、おやきの製造販売は50年前からの「長野市篠ノ井」にある「
マツキ」の味に慣れている。
午後3時50分頃、自宅に到着。
今回の旅行では、よく歩いた。
初日が17,900歩、翌日が11,100歩。
予想外のこともあったが、総じていい旅だったと思う。
今回は、宿場町の奈良井宿と城下町の松本市を散策して、歴史探訪と街歩きを楽しむことが出来た。
でも、着替えなどが入った重いリュックを背負って行動したため、腰に痛みが出て、少し辛かった。
重い荷物がある場合は、輪行しないで正解だと思う。
輪行する場合は、日帰りで行ける範囲に留めておくのが無難だと感じた。